
深掘りDIG
NO WARプロジェクト つなぐ、つながる

「つまずいたのは炭化した幼児だった」 被爆者の体験を絵に描く “心の傷” と向き合った高校生は…


「姉は苦しみだけの人生だった」 失明、脱毛… 当時18歳だった少女の"戦後"


「ピカッと光って、痛くも痒くもない、でもウジはわいた」17歳で被爆した小野田久子さん(94) 語り伝えるヒロシマ、8月6日

「髪は抜け、腕は糸のように…」 9歳と7歳の姉弟もその後 亡くなった 続く放射線の被害


「馬にも召集令状が届いていた」戦後77年で“軍馬と戦争”の企画展 展示物は「物を言わぬ昭和の証言者」

「次、死ぬのは私の番… そればかり思っていた」 医師と患者… 救護現場の記憶


被爆した医師は8月6日の午後から救護にあたった… ~広島の放送局に残る映像から 原爆投下77年~


「語れない気持ち 理解したい…」被爆3世が見た富山大空襲 語り継ぐ使命、語れない苦しみ【戦争の記憶とやま】

「『助けて』という姉を見殺しに… 誰にも言えなかった」 悔い続けた弟

